デザイン思考との両輪
「SEDAモデル」から提供価値を整理する
私たちの求める価値は機能などの利便性から情緒を動かされる意味ある価値へ拡張してきました。上述した経済学者の延岡健太郎氏が提唱する4つの観点:Science, Engineering, Design, Art の「SEDAモデル」から提供すべき統合的価値を整理してアート思考とデザイン思考の関係性を思索していきます。
デザイン思考をユーザーや顧客など周囲の観察や対話による理解を中心に真の問題を探り出すか外発的思考(What)による「価値深化」と捉えると、アート思考は社会に対して自己対話を中心とし動機や新たな問いで価値を再定義し概念を生み出す内発的思考(Why)による「価値探索」という関係性が見えてきます。
ビジネスの起点は経営者が事業目的や信念を思い描きながらも、自社の資産価値である研究・開発(R&D:Research & Development)を中心として競争優位を確立させる流れが特に国内の製造業では一般的でした。(S→E→Dの着想の流れ)
哲学と共感の両輪関係
現在では社会に対する事業の関わりを示す信念やストーリー性ある経営哲学で価値を再定義し、意志を明確にした起点(Why)から着想して他社が模倣できない独創性ある付加価値としての意味的価値を技術(How)で構築し潜在的課題を掘り起こし共感(What)を提供する企業が台頭してきました。([S+A]→E→Dの着想の流れ)
この哲学 (Art)と共感 (Design)の両輪がユーザーや顧客の情緒を惹きつける根幹を形成し「意味的価値」で価値を再定義することでAppleやDysonなどは追随する企業による「機能的価値」の模倣に屈しない盤石な競争優位性を確立してきました。
アート思考の概念を深掘りし改良に役立てる役割と、人の共感へ繋げるデザイン思考の役割の両輪が提供価値に存在する
イノベーションの突破口
これは、従来のモノづくりで注力されていた商品スペックなどの「機能的価値」とは異なり、価値を再定義し新たな問題提起を施すことで他社が踏み込めないブルーオーシャン戦略へ移行し、新規事業開発のイノベーションの入口にもなります。
つまり、アート思考による価値探索を起点としながらサイエンス領域で自社資産との親和性を思索しつつ、それらコンセプトを具現化させる技術を用いてエンジニアリング領域の開発へ落とし込み、更に市場浸透させる共感(デザイン)を得る価値深化を見出していく一連の流れは均等のとれた盤石な事業開発のスタイルです。
言い換えれば、価値探索において従来のサイエンス領域やエンジニアリング領域を中心としたR&Dだけでは後発企業の模倣に対して製品やサービスのライフサイクルが短命となり事業継続の期待は低くなります。
一気通貫した概念の構築
また、新たな事業開発などの場合、「アート思考」と「デザイン思考」を両用することで概念(コンセプト)の策定からアイデア創造や具体的に想定される施策上の課題解決までを一気通貫して整理することも可能になります。
つまりビジョンやコンセプトなどのビジネスの起点を「アート思考」で掘り起こし、「デザイン思考」で想定される課題設定から具体的なソリューションを構築する一連のビジネス開発の流れにも利用が可能となります。
どちらにも共通する事は、「問い」を繰り返す思考で固定概念の壁を越えた洞察を深めることです。繰り返しになりますが、「アート思考」と「デザイン思考」は二律背反する思考ではなく、新たな価値で世界を再定義しつつその課題にも対応が可能な遠近両用レンズのような役割と言えます。
主観(アート)と客観(サイエンス)のバランス
何かしらの成果物=アウトプットを創出するために、観察力、深い洞察力、そして形作る表現力は共通して必要とされる能力です。特に観察においては複数の角度からの対象を見据えるマルチアングル(複眼で捉える)という手法は、アーティストもデザイナーにも共通した技能です。
観察力に関して見ると、ピカソも幼少期の自画像などは精緻な描写テクニックを早い時期から取得していたのが窺えます。模写は表現者としての基本技術でありながら、自問する行程を通して客観的な観察眼から自己表現における内発的情動で自身の解を導き出していきます。
客観性(サイエンス)だけで主観性(アート)を欠いた表現は、香りのない花のようには物足りなさを感じさせるでしょう。重要なのは、主観(アート)と客観(サイエンス)のバランスで概念を創出して、その実現のために適切な技術を用いてエンジニアリングを進めることです。
次に、アート思考の実地プロセスを確認していきます。
アート思考におけるプロセス要素の概念
自由な着想を航海するための3要素
アート思考を実践するための基本プロセスの概念を紹介します。
- 観察力:Observe
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多角的かつ既成概念に囚われない自由な視点で、「ものの見方」の焦点を自在に変化させる探究心。
- 洞察力:Insight
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目に見える表面の物事を捉えるだけで無く、観察を基本としたその周囲にある文脈や背景を読み解く読解力。
- 具現化:Visualization
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抽象化したアイデアやコンセプトを言語や形などの目に見える形にする表現力。
ビジネスなどアウトプットという果実に対し、幹となる探究心から湧き出る観察やその下層の大地に根を張りめぐらせる興味・感情をベースにした哲学(自問)が支える構造とい果実を実らせる樹木に喩えられます。
特に最後の具現化においては、専門のクリエイター人材との共働が必要となりますが、重要なことは丸投げするのではなく、自身の内観からあるべき姿を意識しすることが必要と考えます。
アート思考とは、丁寧な観察で異なる見方や捉え方の視点を洗い出し鋭い洞察力で新たな問題提起とそれをどう意味付けするか「問いの形成手法」を養う発想法とも言いえます。
アーティストと経営者の共通資質
これは、社会に対する問題意識をベースに「内から外」に向かう強い意志や情熱が経営においてはアート思考のプロセス要素に類似します。特に社会に対して懐疑心や批判性で創造する現代アーティストと同様に慧眼(けいがん)をもって斬新なアイデアを形成していく思考プロセスと言えます。
不透明な時代の経営に必要となるのは、強い動機や信念をベースに独自の視点で捉え直した現状価値の新たな意味=価値の再構築の提供です。不確かな時代の大海を航海するため、この3要素を繋げることで存在意義(=パーパス)や事業継続の鍵になる事を経営者は理解することが重要です。
また経営者もアーティストと同様に意志決定や判断を行う局面は個人であり、時代を察する嗅覚を同様に持ち時代の流れを読む嗅覚は必要だからです。
アート思考の留意点
「守破離」で独自スタイルへ昇華
アート思考もデザイン思考も万能な剣ではありません。新たな思考法を導入しても思うような成功が導けない主な要因として、マニュアル人間のようにプロセスをなぞる事にこだわり過ぎて柔軟に対応が取れずに予定調和で普通の解しか導けない”知のジレンマ”を引き起こすようでは本末転倒に終わると言えます。
「守破離」とは、基本の型を学ぶ中で基礎が身に付いて来たら一旦、他の知見などの新たな視点も取り入れて技術や知識を拡充や深化させて最後に独自の様式に発展させる進化の流れです。古来の芸能や武道における師弟関係から独自の技術や境地を切り開くまでを表した言葉です。
基本となる土台の部分は、アート思考もデザイン思考も基本となるプロセスが存在します。その流れの本質を理解し実践できるようになるステージが「守」とすれば、その他の考えを交えて拡張するステージを「破」と考えます。
例えば、アート思考であればクリティカル思考、デザイン思考であればロジカル思考など対峙する発想法を掛け合わして、アート思考とデザイン思考を両方ともに新規事業のビジョン策定から具体的な施策の制定までに利用することも可能です。
そのような応用を繰り返す結果、自分の型となる独自のスタイルへ進化させるステージが「離」となります。それにより手段の目的化という、失敗を未然に防ぐ効果が期待できます。
アート思考もデザイン思考も基本の概念を理解し、一つの発想の手段として実践で繰り返しながら独自のスタイルへ昇華する意識も重要
まとめ
ビジネスの環境適応力を強化するために
内面から湧き上がる主観的視点に比重を置きながらも、観察や洞察を含め客観的、かつ論理的な視点も活用し「ものの見方」を研ぎ澄まし自信の社会に対する新たな問いかけやビジョンを捻出し形成する発想の技術、それが「アート思考」という思考の技術です。
とはいえ、「やはり、アートと言われると絵心的なものが無いから難しい…」と振り出しに戻るひとも居るかもしれませんが、安心ください。
アート思考とは、誰でも知識と意識を整えていけば身につく「自己対話」のプロセスであり、表現技法の「絵心」とは異なります。それは特殊能力ではなく、自問自答を繰り返しながら内省で問題意識を煮詰め成形する思考のプロセスです。
また、自分の心が感じる様で決まりのない発想手段です。旧来の理論や効率性だけを見てきたビジネスの世界に新たな観点で社会を見つめ直す、それがアーティスト的視点を模して発想することでビジネスに斬新な存在意義(パーパス)や新たな価値を描き出します。
意思決定に余白を設け思考を深める
この新たな視点を経営に付加することは、複雑で緊迫した変化の中の経営判断に内省による「余白」を設けることで、冗長性による適応力で危機を乗り切る回復力(レジリエンス)をも実装することに繋がると考えます。
最後に、ダーウィンの進化論における適応性について、東北大学の進化生物学の千葉 聡教授の言葉を引用して本稿を締め括ります。
常に変化する環境に適応し易い生物の性質とは、非効率で無駄が多いことなのである。これはたとえば、行き過ぎた効率化のため冗長性が失われた社会が、予期せぬ災害や疫病流行に対応できないことに似ている。
引用元:“誰もが知っているダーウィンの名言は、進化論の誤解から生じた!変化に対応した生物が生き残るのではない”
東北大学教授 千葉 聡 講談社ブルーバックスWEB
- アートとは、自分の心が感じる様であり決まりの無い多様な発想手段
- 自問を繰り返しアウトプットしながらアイデアを形する発想のプロセス
- 社会に対する問題意識を中心に斬新な意味を世の中に創出する発想法
- ビジョンやコンセプトを、アート思考による内省から社会に向けた問いで抽出
- アート思考とデザイン思考の両輪が盤石で新たなビジネス価値を形成する
- ビジネスを新たな視点で見つめ直し斬新な価値創造を促す
- アート思考の導入の秘訣は「守破離」の工程で、柔軟かつ独自のスタイルへ昇華させる
参考文献
- 秋元 雄史 「ART思考」 プレジデント社 2019年
- 末永 幸歩「13歳からのアート思考」 ダイヤモンド社 2020年
- 山口 周「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」 光文社 2017年
- 髙橋 芳郎 「アートに学ぶ6つの「ビジネス法則」: 銀座の画廊オーナーが語る」 サンライズパブリッシング 2019年
- ロベルト・ベルガンディ「突破するデザイン」 日経BP 2017年
- amanatoh.jp by amana: “アーティストの思考を取り入れることが、 これからの「アート×ビジネス」のあり方” 閲覧日2021年5月21日
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